鷲巣 力(ジャーナリスト)

会場

日仏会館ホール

加藤周一(1919‐2008)は、古今東西の文化や社会について、幅広いだけではなく、深く掘り下げた論考を発表しつづけた。そのひとつひとつの論考では「関係性」が重視される。たとえば、古代日本文学を論じるなかに、現代日本文学が関連づけられ、フランス文学が引証される。専門性の「枠」をいとも容易に飛び越えた。それゆえに、専門家のなかには、加藤の立論に疑問を覚え、批判を加える人も少なくはない。このような特徴をもつ「加藤周一の知の世界」は、いったいどのようにして培われたのだろうか。

 

加藤周一が残した遺品のなかに、厖大な資料や「ノート」があった。「ノート」は冊子型を使わず、ルーズリーフを用いる。そして主題ごとに括られたファイルは数百に達し、ひとつひとつのファイルには数枚から数十枚のルーズリーフが収められていた。総枚数は一万枚に達するだろう。これらの資料や「ノート」には「加藤周一の知の世界」を解く鍵がひそんでいるように思われる。

 

「ノート」は、日本語、英語、フランス語、ドイツ語が使われ、たまにラテン語をおり混ぜる。手書きにもかかわらず、ほとんどまったく「訂正」というものがない。丹念に書かれたその一枚一枚を読んでいくと、初歩的なことから書きはじめ、専門家が行う専門研究の要諦を押さえている。しかし、ひとつの専門領域にとどまらず、さらに他の専門領域、他の文化との「関係性」に視線を伸ばしていることも読みとれる。

 

これら「ノート」の大半はヴァンクーヴァー時代(1960‐1969)につくられている。加藤自身が「蓄積の時代」と呼んだ日々である。加藤にとってヴァンクーヴァーの十年が、いかに重要な日々であったかが、これらの「ノート」から理解できるに違いない。

 

資料や「ノート」は蔵書とともに立命館大学に寄贈され、同大学図書館が、現在、その整理作業を進めているが(2016年には公開される予定)、これらを見ると「加藤周一の知の世界」は、地道な努力の積み重ねによって培われたことを強く実感する。加藤周一はまさしく「努力の人」だった。加藤が残した「ノート」のごく一部を読みながら、「加藤周一の知の世界」を考えてみたい。

     

                                           

◆鷲巣 力(わしず・つとむ)

1944年東京生まれ。東京大学法学部卒業。平凡社に入社。「林達夫著作集」「加藤周一著作集」「加藤周一自選集」の編集に携わる。加藤周一と四〇年近い親交があった。東京大学、明治学院大学、立教大学で非常勤講師。かわさき市民アカデミーで運営委員兼講師。現在、跡見学園女子大学非常勤講師。著作に、『自動販売機の文化史』(集英社新書)、『宅配便130年戦争』(新潮新書)、『公共空間としてのコンビニ』(朝日新聞出版)、『加藤周一を読む』(岩波書店、九月刊予定)など。