情熱の歌人と呼ばれる与謝野晶子。夫・寛(鉄幹)が1911年11月に渡欧すると、半年後の1912年5月に晶子もまた夫を追い、シベリア鉄道経由でパリへ向かった。 彼女が現地に滞在したのは足かけ5ヶ月と短い。しかし、この間に多くの短歌や詩を詠み、文章を書き、仏紙誌のインタビューに応じた。その成果は、歌集『夏より秋へ』、随筆集『巴里より』(寛との共著)に代表される。有名な短歌「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟(こくりこ)」は、赤いコクリコの咲き広がる美しさに酔いながら、夫との再会に歓喜する実感をうたったもの。一方で女性論・教育論の 先駆者として渡欧前年に評論集『一隅より』を刊行していた晶子は、フランスで大きな刺戟を受ける。女性の個性を重視するファッションや生き生きした様子を見て明治日本の女性に求められるものを考え、モンマルトルの風紀の乱れの根源にあるものは男性の不品行だと断じる。またロダンに会い芸術家の偉大さの本質に触れもした。パリを相対化し、文化・社会的考察の基礎とする。この体験は、帰国後の大正期にあって欧州を知る評論家として彼女を押し出した。パリとの遭遇は、晶子をひとまわり大きく成長させたのである。
松平 盟子(まつだいら・めいこ)
歌人。南山大学国語国文学科卒。「帆を張る父のやうに」で角川短歌賞。歌集に『プラチナ・ブルース』(河野愛子賞)『カフェの木椅子が軋むまま』『愛の方舟』など。著書に『母の愛与謝野晶子の童話』『パリを抱きしめる』など。パリの与謝野晶子研究のため国際交流基金フェローシップを受けパリ第7大学留学(1998年~99年)。歌誌「プチ★モンド」編集発行人。しなやかな時代感覚と繊細な日本語美により現代女性の心と都市を詠む