アンドレ・ジッド(1869-1951)は、20世紀前半において、西欧文学を代表する作家として、もっとも質の高い知識人の一人として強い影響力をもち、日本でも1930年代以降多くの読者を惹きつけた。ところが、その名声は、没後、急速に衰え、今や時代の流れに置き去りにされたかの感じをさえ与える。かつては作家たちを強く刺激した形式・内容ともに斬新なフィクション、鋭い批評眼で読者を魅了した評論、妥協のない人間観で同時代人に反省を促し生きる指針となったエッセー・日記等々の多様な作品、さらにそれを支える高度の表現力は、近代のクラシックとして一定の場を占めると同時に、現代人にじかに働きかける活力を失ったのであろうか。そのような時の趨勢を踏まえたうえで、このユマニストの文章を何十年にもわたって良き話し相手としてきた者として、ジッドが自分に引き起こす確かな共鳴を手掛かりに、「人間いかに生きるべきか」をめぐってこの作家の提起した根本的な問いに秘められた普遍的な意義を、激しく動揺する現代文明の諸問題と重ね合わせて、再考したい。
二宮 正之 (にのみや・まさゆき)
1938年東京に生まれる。国民学校入学後数か月で敗戦。疎開先から戻った首都は焼け野原、自宅のある世田谷区の景観は、竹やぶ、雑木林、草原と田畑の武蔵野。これが原風景をなす。少年期より音楽と文学を好み、ピアノに親しむ。青年期にロシア文学を翻訳で濫読。ジッドに初めて接したのも、そのドストエフスキー論を通じてであった。専門を狭く固定することを好まず、東京大学教養学科を経た後に、同大学仏文大学院に進み、ジッドを中心テーマにする。1965年にフランスに移住。晩年の森有正と親しく接する。フランスはフーコー、バルト等の台頭著しく、思想・文学の風土は急速に変貌しつつあった。以後、パリの旧称東洋語学校、パリ第三大学比較文学科、ジュネーヴ大学文学部で教鞭をとり、語学教育に加えて、主に日本の文学・思想を講じる。著書に、『私の中のシャルトル』、『小林秀雄のこと』、La pensée de Kobayashi Hideo – un intellectuel japonais au tournant de l’Histoire、訳書に『ジッド・ヴァレリー往復書簡』、ジッド『背徳の人』、森有正『日記』などがある。