アンヌ・チャン(コレージュ・ド・フランス)、ディスカッサント: 渡辺浩(法政大学)

会場

501会議室

定員

40

言語

日本語、フランス語(逐次通訳、要約的通訳)

主催

(公財)日仏会館

協力

中央大学人文科学研究所

「哲学」は20世紀初頭にごく短期間のうちに中国に入ったが、それには日本が重要な媒介のはたらきをしている。この西洋の概念を日本語に翻訳するため1874年にはじめて「晢學」の語をあてたのは、西周(1829-1897)である。西は明治期啓蒙の重要人物で、オーギュスト・コントの強い影響がみられる言葉づかいで「哲学」の紹介普及を自分の使命とした。この語が中国語にはじめて現れるのは、黄遵憲(1848 -1905)の『日本国志』(1897)においてである。この書には1877年に創立された東京帝国大学の組織の紹介があり、法律、物理、文学の三学部のうち「哲学」は文学部の一学科とされている。ということは、哲学というカテゴリーは、日本が西洋の支配に屈しないために習得すべき(科学技術と同列の)西洋固有の知の専門分野のひとつとして導入されたこと、また大学教育の一ディシプリンの形で、新しい制度的枠組みにおける新しい職業活動のひとつとして導入されたことを意味している。哲学はついで日本語の著作の翻訳を通して中国の読者公衆にも伝えられるが、その日本語の著作はしばしば西洋の原書の翻訳ないしその要約紹介であった。本セミナーで検討するのは、こうした西洋語と日本語、中国語という言語の三角形において行われた翻訳、移植、移転の複雑なプロセスである。