19世紀の女性作家や女性芸術家たちは、書簡を通じ相互の知的交流をはかった形跡が認められる。とりわけ、男性作家が集うマニー亭の夕食会に招かれる唯一の女性作家であったジョルジュ・サンドの周りには、作家や芸術家など職業をもつ女性たちが書簡をコミュニケーション手段とするネットワークを構成していた。ロマン主義時代に輝かしい足跡を残したマリー・ドルヴァルやマリー・ダグー夫人を嚆矢とし、後年のジュリー・ランベールやオルテンス・アラールなどサンドの書簡に登場する女性たちは、サンドとともに、あるいは彼女の傍らで、また彼女のお陰で自らの経歴を成功に導くことができた。職業作家サンドは、精神的、文学的また友好のつながりの輪である「書簡ネットワーク」の中心であり続けた。
サンドは、作家を目指し文筆活動や芸術活動をしたいと望む女性たちにどのような影響を与えたのだろうか。それは「同性による教導権」という言葉に集約されるようなものだったのだろうか。職業をもつ女性たちの知的交流を特徴づけるものとは何か。それはどのような機能をもち、いかなる象徴性と争点を有していたのだろうか。そして、その関係はどのような変化を遂げていったのか。
本講演は、サンドの40年におよぶ作家生活および社会生活において重要な転換点となった三つの時期、すなわち、文壇に仲間入りした時期、成熟期、晩年に焦点を当て、これらの問題について考察するものである。