本賞

新居 洋子

『イエズス会士と普遍の帝国 在華宣教師による文明の翻訳』

名古屋大学出版会、 2017 年

受賞者の言葉

 拙著『在華イエズス会士と普遍の帝国』の主人公アミオ(Jean Joseph MarieAmiot)は歴史上の有名人物というわけではないし、とくに権威づけられた思想家いうわけでもない。このような人物に、大学院へ進んでから東洋史を専攻していた私が引き付けられたのは彼の著述がもつある種の異様さ、いることが分かる。この世界はあくまでカトリック中心のものではあったが、同時に科学(science)が普遍性の体現者となりつつあり公共善(bien public)が究極的な目的となる世界でもあった。そしてこのような通路のありかを、外の世界からやってきた観察者ではなく中国の文献そのものに語らせること。その前提としてそれらの文献の真正性を繰り返し保証すること。これこそ18世紀ヨーロッパの文芸共和国へ説得的に訴えかけるため、アミオが奇妙なほどに情熱を注いだ実践であった。

 こうしたアミオの実践はその後の世界史にどう作用していく熱量の大きさのせいである。中国に限らず世界中に赴いたキリスト教宣教師はしばしば熱心に旅行記や現地での観察記録を残したが、アミオのごとく現地の古今の文献を次から次へとヨーロッパの言語に翻訳した者は他にほとんど例を見ない。これはきわめて骨の折れる作業だったはずだ。アミオの翻訳は、表面的には上古の儒教経書から清朝欽定書に及ぶ膨大な文献をなぞっているだけのように見える。しかし一語一文ごとに潜ってみると、一貫して世界の根源への通路を中国に見出そうとする企てが基調をなしてのか。これは私が目下関心を持っている問題のひとつである。アミオを中心とするフランス出身在華イエズス会士の報告は、18世紀末に『中国の歴史、科学、技芸、風俗、慣習などに関する北京の宣教師によるメモワール(Mémoires concernant l'histoire, les sciences, les arts,les moeurs, les usages,&c. des Chinois: par les missionnaires de Pékin)として編纂された。これはヨーロッパ各地で広く流通しただけでなくアジア各地にも出回った。とくに注目すべきは1936年初めに満鉄奉天図書館に収蔵されたことである。奉天図書館の『収書月報』1936年2月号では、『メモワール』がパリから到着した旨をわざわざ広告に出し「次号に詳報の筈」と予告までしている。このような広告はかなり異例で『メモワール』の獲得が相当待望されていたことが窺える。それはなぜなのか。そして『メモワール』が館長の衛藤利夫(衞藤瀋吉の父)ら関係者の学問形成にいかに作用し、満鉄による知の集積および戦中戦後の日本の学知にどう関わっていくのか。一筋縄ではいかない問題だがこれもアミオの導き、追究していきたい。

 最後に本賞の審査員の先生方、関係各機関・各位には、拙著を視界に入れて下さり、過分の評価を賜ったことに心よりの感謝を申し上げます。