奨励賞

鳥山 定嗣

『ヴァレリーの『旧詩帖』 初期詩篇の改変から詩的自伝へ』

水声社、 2018 年

受賞者の言葉

 このたびは大変名誉な賞をたまわり誠に光栄に存じます。関係者の皆様に厚く御礼申し上げますとともに、これまで私の研究を導き支えてくださった方々に深く感謝いたします。

 『『若きパルク』の詩人、『ヴァリエテ』の批評家、『カイエ』の思想家など多様な面をもつ作家ポール・ヴァレリーは、しばしば「知性の詩人」と評されますが、同世代のポール・クローデルが喝破したように「皮膚のごとき意識で肉体を覆っているこの精神」において知性と官能性は表裏一体でした。ヴァレリーの人生は「知性と感性の相克」ともいうべきものですが、その最初の波瀾は二十歳の頃に体験した危機「ジェノヴァの夜」であり、これを境にヴァレリーは文学放擲を決意します。その後、長いあいだ「沈黙」し、四十歳を過ぎて再び詩作に戻ることになりますが、そのきっかけとなったのは、かつて雑誌に発表した作品の出版を勧める友人らの働きかけでした。

 「昔の詩を集めた」と称する『旧詩帖』はこれまで積極的に評価されることは稀でしたが、それにはこの詩集を未熟な若書きの作とみなす偏見が作用していたと考えられます。しかし、所収詩篇の多くは1890年代に遡る「旧詩」そのものでは決してなく、1912年以降それらをもとに書き改めたものであり、この「初期詩篇の改変」という点に『旧詩帖』再読の意義が見出されます。

 ヴァレリーはどのようにして詩作に復帰したのか、昔の詩を書き改めたのはなぜか、改変にはどのような特徴が見られるのか――本書はこうした問いから出発し、各詩篇の改変の過程を跡づけ、この詩集をみずからの作品を書きかえ続ける作家ヴァレリーの「詩的自伝」として捉え直そうと試みました。改変の作業は1920年の初版刊行後も1942年(詩人の最晩年)まで続いており、『旧詩帖』の全生成過程は詩人の一生涯に及んでいると言っても過言ではありません。

 初期詩篇のたえざる改変という事実は「作品に完成はない」というヴァレリーの作品観をよく示すものです。「作られる物」よりも「作る行為」に重きを置き、制作中の作品が作者に及ぼす反作用を意識してやまない作家にとって「作品の改変可能性は尽きることがない」。『旧詩帖』という詩集はヴァレリーの初期作品と後期作品に橋を渡すという重要な役割を担うとともに、「作品」とは何か、「作品を作る」とはどのような行為なのか、といった決して古びることのない問いを私たちに突きつけてくる作品であると思います。