第36回 渋沢・クローデル賞
奨励賞
梅澤 礼 氏
『囚人と狂気 一九世紀フランスの監獄・文学・社会』
法政大学出版局、2019 年
受賞者の言葉 |
このたびは渋沢・クローデル賞の奨励賞をいただき、まことにありがとうございます。 私は幼稚園から高校までを、渋沢栄一の故郷・埼玉県深谷市の隣町にあたる熊谷市で過ごしました。小学生のとき、この熊谷市に駅ビルができたのですが、そこで行われた抽選会でヨーロッパ旅行を当てたことが、私の人生を大きく変えることとなりました。訪れた国の中でもとくにフランスに惹かれた私は、やがてユゴーの『レ・ミゼラブル』に関心を持つようになり、作品理解のために、日本の大学では仏文科に、ヨーロッパの大学では歴史学科や犯罪学科に在籍したのです。こうしたことから本書も二部構成となっており、第一部は監獄をめぐる文化史的な、第二部は文学的な内容になっています。 大革命以降フランスでは、犯罪者の身体ではなく精神を罰する刑罰が求められるようになりました。その場所として白羽の矢が立ったのが監獄であり、19世紀前半を通じて、様々な改革が行われました。たとえば1820年代の改革は、足し算型で垂直の方向性を持つものでした。それに対して1830年代の改革は引き算型のものであり、やがて水平の方向性を見せることになります。 1840年代には、監獄の独房化が進められてゆきます。独房には、囚人に精神的健康被害をもたらす危険性がありました。しかし推進派は、生まれつき犯罪と狂気の傾向を持つ少数の囚人だけが狂気に陥るのだとして、反対意見を押さえ込んだのでした。19世紀半ば、独房という新しい監獄の形とともに、少数の囚人の犠牲を容認する新しい社会の形が生まれたとも言えるでしょう。 この時代、文学作品の多くにも監獄は登場しました。といっても、『人間喜劇』のようないわゆる文学作品から、大衆文学や囚人向けの教化文学、さらには犯罪者の回想録まで様々です。しかしこれらの作家たちはみな、社会から少数の囚人が切り捨てられてゆくなか、監獄の問題を取りあげ続けました。そしてときには、社会に対してだけでなく、犯罪学者や精神科医の意見にさえ、ひるむことなく反論したのです。 社会は少数の人々とどのように向き合うべきなのか。文学は社会の中で何ができるのか。科学と文学はどのように協力してゆくべきなのか。「囚人と狂気」の問題を中心に、「19世紀フランスの監獄、文学、社会」を追う本書は、その19世紀フランスをモデルに形作られた日本が現在抱える問題に、最終的には迫るものなのかもしれません。 |
選評 |
評者 工藤 庸子(東京大学名誉教授 パリ第一大学に提出した歴史学の博士論文を土台とし「表象としての監獄」を記述する前半と、その応用編として「監獄文学」の分析を行う後半からなる学際的な著作である。 フランス革命に至るまで監獄は、死刑やガレー漕刑などと並び「刑罰」の一環とみなされていたが、1810年のナポレオン刑法典により、囚人の社会復帰も想定した「矯正」の機能を担うことになる。20年代には囚人の雑居による悪徳の蔓延と極限的な不衛生が問題となり、1843年に下院に提出された「監獄法案」は、全ての囚人を独房に収監することを原則とした。本書は「監獄問題」が耳目を集めた30年間を中心に膨大な資料を渉猟し、時代精神の変遷を描きだしている。初期の「博愛主義」に替り、1830年代にはトックヴィルがアメリカの模範事例を調査して、犯罪者の「ミゼール」の救済から監獄の効果的管理へと発想が転換された。議論の焦点となったのは、ペンシルヴァニアシステム(昼夜を独房で過ごす方式で狂気に陥る者が多いとされた)とオーバーンシステム(夜は独房、昼間は共同作業に携わるが沈黙義務を課された)の優劣という問題だった。ジャーナリズムや文学とともに、統計学、骨相学、解剖学、精神医学、遺伝学など新興の学問が論争に参加、1840年代には「監獄学」の国際学会が開催された。論述は資料の紹介にとどまらず、豊富な図版を配して監獄をめぐる多様な表象やイメージを活き活きと浮上させている。 本書後半では、ラスネールやヴィドックなどの獄中体験を語る回想録、バルザック、ウージェーヌ・シュー、ヴィクトル・ユゴー、ゴンクールの小説などが検討対象となる。著者によれば、バルザックは「博愛主義」には微妙な距離をとり、重罪と微罪とを同等に扱う独房制度を批判した。『娼婦の栄光と悲惨』の執筆に際しては、コンシエルジュリー監獄を訪問したのち構想を変更し、主人公リュシアンの自殺を独房拘禁の悲惨な症例として描出したという。また貴族院議員だったユゴーは1845年に『レ・ミゼラブル』の前身とされる『レ・ミゼール』の執筆を始め、これを中断しながら監獄改革にかかわる議会演説を準備した。ジャン・ヴァルジャンの体験した徒刑場という雑居方式の弊害や、彼がコゼットと隠れ住む女子修道院において修道女に課される独居生活の苛酷さなどは、このときの論争から演繹されたものであろうと著者は指摘する。文学作品の繊細な読解と学際的な手法と実証的な文献調査が調和した研究例として高く評価したい。 実証的な部分では特定の文献に頼りすぎるとの指摘もあり、前半と後半それぞれの独創性や二部構成をいかに評価するかについても審査員たちの見解は分かれたが、学術的な説得力と読み物としての魅力を兼ね備えた書物という全般的な評価について全員の賛同が得られたものである。 |