奨励賞

御園 敬介

『ジャンセニスム 生成する異端―近世フランスにおける宗教と政治』

慶応義塾大学出版会、2020 年

受賞者の言葉

 このたびは渋沢・クローデル賞奨励賞を賜り、大変光栄に存じます。不穏な社会情勢のなか選考にあたられた関係者の皆様に厚く御礼申し上げるとともに、これまで私を教え導いて下さったすべての方々に心から感謝いたします。

 「ジャンセニスム」は、近世フランスにおける最大の宗教問題の一つとして知られています。それはスペイン領フランドルの司教ジャンセニウスの名に由来する言葉で、もともとは恩寵と自由意志をめぐる神学論争の主題でしたが、やがて王権と教会を巻き込む大騒動に発展し、18世紀末にいたるまで絶対王政期のフランスを揺るがす深刻な事案であり続けました。聖俗の諸権力が入り乱れ、おびただしい文書が飛び交ったその模様は、当時の社会と思想の動きを理解する上で興味深い題材として現れています。

 しかし、「ジャンセニスム」の研究は、長らく袋小路に陥ってきました。本来、論争のなかで生み出された蔑称である「ジャンセニスム」は、実体を伴わない「架空の異端」にすぎず、学術研究の対象には馴染まないと考えられてきたからです。それはいまや、鍵括弧なしでは使うことのできない警戒すべき言葉の一つと見なされており、用語そのものを放棄しようとする傾向も生まれています。

 拙著『ジャンセニスム 生成する異端』は、こうした状況を踏まえつつ、ジャンセニスムをこれまでとは異なる角度から考察する道を探ったものです。とくに留意したのは、ジャンセニスムとは何かという定義の問題を退け、それがどのように作られたのかという生成の問題に焦点をあてること、すなわちジャンセニスムから反ジャンセニスムへと分析の視点を移行させることでした。従来の研究では、ジャンセニウス擁護の側に回った少数の著名人に注目が集まる一方で、その敵対者たちの動向は等閑に付されてきました。そのため、埋もれた関連文献の調査には相応の時間が必要でしたが、中傷や虚偽として切り捨てられることの多かった言葉を拾い上げていく一連の作業は、事件の背景や論争の意味を新たな仕方で捉え直す契機となりました。

 今回、ジャンセニスムを前景化するにあたり、その牙城と見なされたポール=ロワイヤル修道院への言及は最低限に抑えざるを得ませんでした。今後は、近世フランスの文化と社会に深い刻印を残したこの共同体への沈潜を通して、「偉大な世紀」のもう一つの歴史を紐解いてみたいと思います。

選評

評者 川出 良枝(東京大学教授)

 ジャンセニスムとは何か。自由意志をめぐりイエズス会と対立したカトリック内部の異端、これが教科書的理解であろう。だが、現在のフランスでは、この概念の使用を控えるべきだと主張されることも多い。神学者ジャンセニウスや、アルノー、ニコル、パスカル等を擁し、活発に活動したポール=ロワイヤルの一団をそのものとして分析すれば良く、それらを束ねる「ジャンセニスム」なる「架空の異端」を自明の前提とすべきでないというのである。本書はそうした動向に一定の理解を示しつつも、この「架空の異端」が17世紀後半のフランスでどのように作られたかという「生成」の過程を明らかにすることを目指す。その際、著者はその生成にとって、それを批判する側が重要な役割を果たしたことに注目する。中でも、反ジャンセニストの「密使」とも呼ばれるレオナール・ド・マランデの活動の解明は独創的成果である。マランデの手にかかると、ジャンセニストたちは、「緩和されたカルヴィニスト」であるのみならず、社会契約論を奉じ、王権の転覆を謀る危険な政治セクトである。

 ジャンセニスムが異端として追い込まれる過程を迫真の筆致で描き切った点も高く評価される。糾弾する側・応戦する側双方のつばぜりあい、「事実問題」と「権利問題」を分けるアルノーのしたたかな戦略(ただし、論争の矮小化をまねく結果ともなる)、教皇の妥協的態度、さらには教皇の勅書を仏訳する際の翻訳の不手際といった偶発的な要素まで視野に入れた重厚な分析である。論争に敗北した側には、異端認定の受諾を求める「信仰宣誓書」への署名が突きつけられた。良心に反して偽りの誓いを立てるか、王権と教会の決定に逆らうか。困難な状況下で、アルノーは「恭しい沈黙」(教会組織への敬意に基づく服従の意思表明と良心への干渉の拒否)と呼ばれる苦衷の方策を打ち出す。王権側も強硬策を控え、妥協としての「教会の和約」が成立する。完成度の高い労作ではあるが、ジャンセニスムと政治との関わりを扱う以上、運動がより政治化した18世紀を含む長期的視野も必要ではないか、ポール=ロワイヤルの扱いが手薄で思想の分析としてはやや物足りないといった意見もあった。

 いずれにせよ、宗教と政治のドラマをあまたの文献から厳密かつ大胆に追った本書が、17世紀の歴史・思想研究として圧倒的意義をもつことは疑問の余地がない。