奨励賞

髙木 麻紀子

『ガストン・フェビュスの『狩猟の書』挿絵研究』

中央公論美術出版、2020 年

受賞者の言葉

 この度は、第37回渋沢・クローデル賞奨励賞という大変名誉な賞を賜り、うれしさと共に身の引き締まる思いをしております。審査をしてくださった先生方、関係者の皆さまに厚くお礼申し上げます。

 14世紀南仏の大領主フォワ伯ガストン・フェビュスは、中世の騎士道精神を体現したかのような人物であり、その人生は多くの武勇伝で彩られています。そんな彼が『狩猟の書』の口述筆記を開始したのは1387年、血気盛んな覇権抗争からはやや距離をおき、オルテズのモンカード城で優雅な宮廷生活をおくっていた晩年のことでした。その内容は、キリスト教が圧倒的な影響力をもっていた中世の精神風土のなかにありながら、経験主義的な姿勢に貫かれており、自然に対する親しみの込められた眼差しに満ちていました。そして、テキストに留まらず、そこに添えられた挿絵にも、先駆的な自然、動物表現が見出されるのです。

 しかしながら、この『狩猟の書』は、その史的重要性が高く評価されながらも、美術史の領域では断片的なかたちでしか研究が行われていませんでした。拙著は、長期間に渡る現地調査を通じて、15世紀フランスで集中的に制作された『狩猟の書』の挿絵入り写本群の網羅的なカタログを制作した上で、この中世末期の世俗彩飾写本におけるイメージの変遷の諸相を解明することを目指したものになります。

 『狩猟の書』を含め、中世末期の世俗美術は、宗教美術に比して積極的に研究されてきたとはいい難く、その全体像の解明は西洋美術史上の重要課題のひとつとして残されています。確かに、教会というサンクチュアリをもたない世俗美術は、損傷や破壊の末、多くが失われ、段階的にその発展を概観するのが難しいという側面を有しています。残された僅かなパズルの欠片を手掛かりに失われた大陸を探すようなこの旅はまだ始まったばかりであり、『狩猟の書』写本に関してはようやくその全貌がみえてきたものの、課題は多く残ります。さまざまな制約があるなかでどこまで進むことができるのか。期待と不安が入り混じる旅の途中で、目に留めてくださる方がいて、このような過分な評価を賜りましたことは、今後への大いなる励みとなりました。

 最後にあらためまして、本賞の関係者の皆さま、ご指導を賜った日仏両国の先生方、出版社の方々をはじめとする拙著の制作にご尽力くださった皆さま、そして家族と友人に、この場をお借りして心よりの感謝の意を表します。

選評

評者 篠田 勝英(白百合女子大学名誉教授)

 フォワ伯ガストン・フェビュス(1331-1391)の二つの重要な著作のうち,『狩猟の書』(1387-88)は美しい挿絵を多数収めた写本が少なからず残っているために,古くから文学研究者・文献学者のみならず中世美術史研究者の関心を集めてきた。高木麻紀子氏の著作は標題にあるようにこの作品の挿絵研究に特化したものだが,著者はディジタル・アーカイヴの充実に反比例して現場での写本閲覧が困難になっている昨今の状況にめげず(49件のうち,本書の著者が実際に閲覧し得たのは7例),所在の明らかな『狩猟の書』49写本についてカタログを作成,特に挿絵のある写本の場合は挿絵の配置されたフォリオの詳細な記述を添えるという,根気だけではなく見識と技術を要する膨大な作業を成し遂げた。

 その一方で写本挿絵を系統樹にしたがって網羅的に分析し,狩猟の図像を精査し、特に自然表現の変遷に着目してその造形的特質を検証,14,15世紀における世俗彩色写本におけるイメージ変移の諸相の解明を試み,一定の充実した成果をあげた。細かく見れば,表記,用語法,無用の繰り返し等の瑕瑾無しとはしないが,全体として高い評価に値する労作といえよう。とりわけカタログ作成に注いだ労力と結果に見られる精度の高さは称賛に値する。zzあえて望蜀を省みず一言するならば,『狩猟の書』の場合,今日なお南フランスの人々が折に触れて愛唱する,オクシタニーの国歌的歌曲Se Canta「(小鳥が)歌うなら」の作詞者にも擬せられる重要人物の作品でもあるのだから,作者・テクストをも包括する総合的研究が今後さらに望まれるところである。挿絵を伴った写本の数がかなり多い事情の解明にもそのような考察は欠かせないことだろう。

 たとえば時禱書のような典礼書であれば,作者やテクストと挿画を切り離して,後者のみを考察することにも大いに意味があるだろうが,ガストン・フェビュスの作品となれば,前記のような総合的研究が望まれるのは必然であろう。『狩猟の書』の作者のもうひとつの作品『祈禱の書』Livre desoraisonsを視野に入れ,日本ではほとんど知られていないガストン・フェビュスの実像に迫ることができれば,美術史研究においても多大の成果をもたらすはずである。その際,本書とその中核を成すカタログは,本書の著者を含めた研究者たちにとって,オック語とオイル語(philologie),字体を含む写本の構成(codicologie, paléographie)。中世貴族社会における狩猟のあり方(sociologie)等,多面的な観点からの研究の土台となり,基本文献となることだろう。そのようなポテンシャルを豊かに蔵した著作として、今後の期待も込めて奨励賞を授与することとなった。