第38回 渋沢・クローデル賞 本賞
本賞
中村 督 氏
『言論と経営 戦後フランス社会における「知識人の雑誌」』
名古屋大学出版会、2021 年
1981年生まれ。2012年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。2012年、フランス社会科学高等研究院博士課程修了(博士・歴史学)。南山大学外国語学部講師。2017年より南山大学国際教養学部准教授。主著として『言論と経営』(名古屋大学出版会、2021年)。共著に『新しく学ぶフランス史』(ミネルヴァ書房、2019年))など、共訳にP.ロザンヴァロン『良き統治』(みすず書房、2020年)、K.ロス『もっと速く、もっときれいに』(人文書院、2019年)など。
受賞者の言葉 |
このたびは第38回渋沢・クローデル賞本賞を賜り、大変光栄に存じます。 ご選考くださった本書は、フランスの代表的なニューズマガジン『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』に関する研究の成果をまとめたものになります。1964年に創刊されたこの週刊誌は、通称を用いるかたちで2014年に『ロプス』という名前に変わって今日に至りますが、フランスに関心のある方なら一度は耳にしたことがあるかと思います。それのみならず、同誌に掲載されたジャーナリストや知識人の記事を読んで、この国の社会や文化への洞察を深められてきた方も多いものと想像します。 しかし、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』がどのような媒体なのかというと、説明が容易ではないどころか—それが魅力ともいえますが−−、長いあいだ、フランスでもまとまったかたちで論じられておらず、同誌が描いてきたその軌跡は明らかにされてきませんでした。それが本書の出発点となりました。研究を進めるなかでとくに驚いたのは、同誌は、1995年以降、国内最大販売部数を記録し続けていたことでした。別言すれば、この雑誌は、一般的に商業誌と目される『レクスプレス』や『ル・ポワン』といったほかのニューズマガジン以上に商業的であったということです。この側面に着目し、言論誌の存続の可能性を問い直そうとしました。 同時に、本書は『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の歴史を通じて、高度経済成長を経て大衆諸費社会が到来するなかで、個人が消費行動を変え、大文字の政治とは異なる政治が出現していくという、多くの先進諸国に共通する過程を分析することを目指しました。副題に、戦後フランス「社会」とあるのは、その辺りのことを意識してのことです。とはいえ、この課題は大きく、当然、すべてを解決できたわけではありません。さらに本書を書き終えたところで、新たにさまざまな疑問が立ち現れてきました。歴史研究を行う者として、今後も史料に向き合いながら、こうした疑問に言葉を与えられるよう、勉学に努めてまいります。 末尾になりますが、関係者の皆さま、難しい状況のなかでご選考くださった先生方に心よりお礼申し上げます。また、私を支えてくださる方々にも感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。 |
選評 |
評者 矢後 和彦(早稲田大学教授) フランスに旅したことがある人なら「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」Le Nouvel Observateurという雑誌をどこかで見たことがあるのではないだろうか。フランスに留学された方なら、専門分野にかかわらず一度は手にとったことがある雑誌だろう。1964年に創刊されたこの総合雑誌「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」(以下N.O.)を対象として、戦後フランス論壇に確固たる地位を占めた「知識人の雑誌」を探求した歴史研究が本書である。 歴史の研究対象、それも現代史の研究対象として、人物や思想、あるいは企業や政策ではなく「雑誌」を取り上げることなど可能だろうか。この一抹の不安は、本書のページを繰るごとに大きな納得に変わった。本書はいくつもの視点からN.O.をめぐる「言論」と「経営」の全体像に迫る。N.O.が映し出した時代背景、N.O.に寄稿した錚々たる知識人、N.O.の代表取締役クロード・ペルドリエルClaude Perdrielと編集長ジャン・ダニエルJean Danielの軌跡――こうした重層的な本書の構成からは、数々の「筋」が読み取れる。N.O.への幅広い寄稿者からは戦後フランス社会における知識人の系譜が浮き彫りになり、N.O.が関与した政治過程からはマンデス・フランスからミッテランに至るフランス社会主義・社会民主主義の興亡が明らかになる。「1968年5月」を含めてN.O.が向き合ったフランス社会の変動は、「知識人」「政治参加」が日常化・メディア化されていく過程を体現している。N.O.によるマーケティング技術の導入や広告代理店の活用、さらにはミニテル事業を核とするメディア・グループの立ち上げからは「言論」の背後にあった「経営」の実像が示される。本書はこれら複数の「筋」を統合して、戦後フランスの言論空間を描いて成功している。 ある年代以上の読者にとっては、本書は、若かりし頃の「政治の季節」を想起させるかもしれない。それだけにN.O.が映し出した「あの頃」の知識人についてもっと踏みこんだ分析を望む声もあるだろう。本書はN.O.が危機を脱した20世紀末で筆を擱いているが、むしろそれ以降を知りたい、という声は若い世代からあがるかもしれない。しかし、魅力ある題材をバランスよくまとめた新進の筆力には審査員一同から大きな共感が集まった。 社会科学の分野で、久しぶりの本賞受賞作である。本書をきっかけに、フランスの言論空間への新たな関心がわきおこることを期待したい。 |