本賞

船岡 美穂子

『ジャン=シメオン・シャルダンの芸術 ―啓蒙の時代における「自然」と「真実」―』

中央公論美術出版、2022 年

岡山県出身。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了(博士[美術])。同大学教育研究助手、日本学術振興会特別研究員(RPD)を経て、現在、東京藝術大学非常勤講師。慶應義塾大学、上智大学、東京工芸大学、京都芸術大学でも非常勤講師をつとめる。専門はフランス近世・近代美術史。
近著に、近世美術研究会編、『イメージ制作の場と環境––西洋近世・近代美術史における図像学と美術理論』(共著)、中央公論美術出版、2018年。

受賞者の言葉

 このたびは、『ジャン=シメオン・シャルダンの芸術―啓蒙の時代における「自然」と「真実」―』を、大変名誉ある第39回渋沢・クローデル賞本賞にご選出いただきまして、誠に光栄です。ご査読・ご選考にあたられた先生方、関係者、各機関・団体の皆様、そしてこれまでご指導ご支援いただいたすべての方々に厚く御礼申し上げます。

 拙著は、フランス革命以前の18世紀パリに生き、日常の品々と生活風景を主に描いたシャルダンの全画業を対象として、近代絵画の発展にも刺激を与えることになる先進的な造形様式がどのように生み出されたのか、その要因と生成過程を解明するとともに、当時の観者の美的感性がいかなるもので、その作品をなぜ、どのように評価・受容したのかということ、そしてこの画家の作品制作との影響関係を明らかにしようと試みたものでした。限られた技倆であっても―あるいはそれゆえに―、弱点となりかねない要素さえ独創性へと昇華してみせた、シャルダン芸術への理解の一助となることを願うばかりです。

 来し方を振り返ってみますと、静物と風俗を中心とした質実な主題、写実的な表現技法において、華やかなロココ美術とも、また古典古代を志向する新古典主義美術とも異なった、独特の自然さと真実味、静謐さを湛えたシャルダンの作品に魅了されたのは学部4年生の時でした。拙著は、東京藝術大学に提出した博士論文をもとにしながら、その後の国内外の研究の進展を踏まえ、全体を見直し不充分なところを補い、また受容史、啓蒙主義と美術、陶磁器の表象、素人の美術愛好家による作品制作といった新たなテーマによる考察を合わせて加筆・修正を行ったものです。卒業論文のテーマに決めた時から数えると、紆余曲折を経て20年余りを要すことになりました。一人のフランスの画家を研究するということ、それは同時に、西洋美術史学の伝統、知性と感性に根差した方法論を学ぶことでもありました。圧倒されつつも、人文科学は、先学が残してきた膨大な成果の蓄積なくしてはありえず、それゆえに古くて新しい価値と魅力があるように、今あらためて思います。

 今後の展望として、課題として残された19世紀における旧体制期の美術の再評価の問題に取り組むこと、また風景画のジャンルにも関心を持っています。このような身に余る栄誉を賜り、いっそう研究者として求められる責務を感じています。大きな励みとして精進してまいります。

選評

評者 三浦 篤(東京大学教授)

 本書は18世紀フランスの画家ジャン=シメオン・シャルダンとその作品の総合的な再検討、再解釈を企図した研究書である。著者の動機は、シャルダンの絵画が示す魅力的であると同時に曖昧でもある様式、造形性に関して、整合性のある新しい解釈を打ち立てることにある。研究史を検討した第1章に続く本論は三部構成となり、初期の静物画、中期の人物画、後期の静物画を順次論じて、シャルダンの画業全体を対象とした。附録となる二つの重要な評伝の翻訳・解題も貴重な仕事と言えよう。

 第2章の初期の静物画では、シャルダンは実物を描くだけでなく、同時代のデポルトやウードリーの作品を引用し、「接近・再構成」の手法を独自に編み出した可能性が示唆される。空間や形体のずれや歪み、細部の省略などの「未習熟」「不手際」が見られるが、それはシャルダン固有の様式でもあり、後期に向かって次第に洗練されていくと著者は見なす。それはまた、受容者である中産階級の人たちや仲間の美術家たちに好まれる作品制作とも関連しているとの指摘も興味深い。

 第3章で扱う中期の人物画は、17世紀フランドルとオランダの風俗画の伝統に基づくが、簡潔な整った人物像を繰り返し描くのがシャルダンの際立った特徴となる。幾何学性すら感じさせるこれらの人物像に対して、当時のサロン批評が頻繁に「飾り気のなさ naïveté」という言葉を用いて静かで自然な身ぶりを肯定的に形容している点を、地道な調査で浮き彫りにしたのは評価できる。受容層も中産階級、美術愛好家・同業者から王侯貴族にまで広がっていく。

 第4章では、後期のシャルダンが回帰した静物画に焦点を当てる。画家固有の洗練された空間表現、さらに簡素になる形体、色彩と筆触の「魔術」が、当時の自然模倣論に適ったものであると著者は主張する。物語画中心の主題のヒエラルキーからすれば最低位に位置する静物画家の作品が、美術愛好家や同業の芸術家たちを中心に好まれ、高い評価を得たのには、十分な理由があったということになる。18世紀後半の美術史は、官能的なロココ美術から厳格な新古典主義美術への転換期と通常捉えられるが、シャルダンの置かれた歴史的文脈はそれとは異なる。著者は、シャルダンが即物的な自然模倣ではなく、個性的な造形感覚と独特な絵画技法によって「自然」と「真実」を表現し得たがゆえに18世紀当時評価されたことを、最新の研究成果に基づき精緻に論証して見せた。その後忘れられたシャルダンが19世紀中葉の近代的なレアリスムの時代に再評価されたことも納得できる。

 以上のように、著者は作品と一次資料の徹底した調査、緻密な造形分析、同時代の評伝や美術批評の批判的読解、当時の作品所蔵者や受容環境の精査等を通じて、シャルダンの特異性を多角的に分析し、美術史的に位置づけ直すことに成功した。その優れた成果は渋沢・クローデル賞を受賞するにふさわしい。