本賞

神崎 舞 

『ロベール・ルパージュとケベック——舞台表象に見る国際性と地域性』

彩流社、2023

同志同志社大学グローバル地域文化学部准教授。博士(文学)。専門は、演劇学、カナダの舞台芸術。主な業績に、共著『ケベックを知るための56章【第2版】』(明石書店、2024年)、『現代カナダを知るための60章【第2版】』(明石書店、2022年)、『総合研究カナダ』(関西学院大学出版会、2020年)、共訳『ケンブリッジ版 カナダ文学史』(彩流社、2016年)などがある。

受賞者の言葉

 この度は、渋沢・クローデル賞奨励賞という素晴らしい賞を頂き、大変光栄に存じます。これまでの受賞作の中では、フランス語圏に関するものが少なく、ケベックをタイトルにしたものはありませんでした。したがって、拙著『ロベール・ルパージュとケベック―舞台芸術に見る国際性と地域性』による受賞は、極めて難しいのではないかと思っておりましたので、受賞の知らせは、信じ難いものでございました。拙著の出版ならびに受賞に至るまでには、多くの方のお力添えを頂きましたことを心より感謝申し上げます。
 演劇研究において、カナダの演劇は今なお「周縁」にあることは否めません。しかしながら、フランス語圏で生まれ育ったロベール・ルパージュは国際的な演劇フェスティヴァルなどで上演を繰り返し、今や世界的に一目置かれる存在となっています。国際的な活躍を続けながらも、ケベックという地域性は、ルパージュとは切っても切れない関係にあります。
 したがって拙著は、日本語で記されたものとしては初めてとなるルパージュ作品に関する演劇論でありながらも、ケベックという地域の文化研究でもあります。すべての作品を網羅しているわけではありませんが、年代ごとの傾向の一端を掴めることに加え、国際的に活躍するルパージュの舞台表象と、生まれ育ったフランス語圏ケベック州との関連を見出すことを目指しました。先行研究はもちろんのこと、一般公開されていない資料や、ルパージュ本人及び制作者とのインタヴューなども参考にすることで、新たな視点を加えることを試みました。ルパージュとの3度のインタヴューの抜粋は本書にも含まれています。同時代を生きているからこそ得られた知見は、私がこれまで行ってきたルパージュ研究において、大いに示唆に富むものとなりました。拙著が、ロベール・ルパージュ作品の日本における普及だけでなく、今後のケベック、さらに広くはカナダ演劇に関する研究に、少しでも貢献することができれば大変嬉しく思います。
 ルパージュ研究はまさに私のライフワークとなっています。よって、現在も精力的に活躍を続けているルパージュの活躍を今後も追っていく予定です。同時に今後は、ルパージュ作品のみならず、これまで以上に新たな領域にも積極的に挑戦したいと考えています。

選評

評者 河本真理(日本女子大学教授)

 ロベール・ルパージュは、カナダのケベック市出身で、演劇・サーカス・ダンス・オペラ・映画などの枠組みを超えつつ、国際的に活躍する演出家である。日本文化にも強い関心を示し、その影響を受けた作品を発表したり、日本人アーティストとコラボレーションを行ったりしたことから、2022年にはカナダの演出家としては初の国際交流基金賞を受賞している。本書は、このルパージュの日本初のモノグラフである。
 ルパージュは、国際的な活躍や作品における異文化摂取ゆえに、ケベコワという枠組みを超えた国際的な演劇の流れに位置づけられることが多い。しかし、著者は、ケベックという地域や、そこで培われたケベコワとしてのアイデンティティこそが、ルパージュ作品の要であると見なしている。本書は、ルパージュの舞台表象の通奏低音となっている、ケベックの「地域性」をあぶり出そうとするのである。
 本書は、ルパージュの主要作品を年代に沿って取り上げ、作品の変遷を辿るという、オーソドックスなモノグラフの形式を取っている。本書でケベックは、カナダやアメリカの英語圏、さらには宗主国のフランス語圏に対する「周縁」として位置づけられている。このように「周縁」だからこそ、ルパージュ作品では、異文化接触を通して、自己の中の「他者」を発見し、それに伴って自己に内在する「混在性」を認識するという、ケベコワのアイデンティティが浮き彫りとなる。断片的な物語構成、生身の俳優と映像との相互作用、複数言語の使用など、「ずれ(décalage)」を特徴とするルパージュの舞台表象は、今なお揺らぎを見せるケベコワのアイデンティティに呼応している。ルパージュにとって、畢竟、他者の表象は、そこに自己を重ね、自分自身について語るためであり、その意味において、ルパージュ作品の「国際性」と「地域性」は表裏一体といえるのである。
本書の論旨は明快で読みやすく、映像を含めた舞台表象の分析も丁寧である。ただ、審査の過程で、ルパージュ作品にしばしば登場する、オリエンタリズム的な「蝶々夫人」を想起させる女性の解釈などをめぐって問題点も指摘された。
 本書は、ケベック演劇史の簡単な導入以外、ルパージュ作品の分析にほぼ終始しており、他の演出家の舞台表象と比較して、ルパージュ作品をカナダ演劇、あるいは20~21世紀演劇に位置づけるというマクロな視点が欠けているのが惜しまれる。この点については今後に期待したい。
また、巻末に収録された、著者がルパージュに行ったインタヴューに、歌舞伎や文楽(や日本の現代文化)はバロック的で外の世界に開かれており、さらに文楽は映画的・ブレヒト的でもある、などと述べられていて興味深い。それに関する分析も待たれる。
 全体としては、本書が、読者をルパージュの多彩で豊饒な世界へといざない、舞台表象の観点からケベックの孕む複雑な問題を提起したという点において、奨励賞にふさわしいという結論となった。