第41回 (2024) 受賞作品
本賞 |
谷口良生 議会共和政の政治空間——フランス第三共和政前期の議員・議会・有権者たち 京都大学学術出版会、2023 |
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奨励賞 |
神崎舞 ロベール・ルパージュとケベック——舞台表象に見る国際性と地域性 彩流社、2023 |
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フランス側 |
エリーズ・ヴォワイヨ 「写真売ります!」⽇本写真における1968 年以降のラディカリズム再考――ワークショップ写真学校 (1974-1976) の場合 博士論文 |
審査報告
公益財団法人日仏会館
渋沢・クローデル賞委員会委員長
中地 義和
2024年度、第41回渋沢・クローデル賞への応募作は8点、そのすべてが著書で、翻訳書はありませんでした。一次審査では外部専門家の評価も勘案しながら二次審査に進む優秀作4点を選考し、二次審査ではこれら4作を審査委員10名がさらに精査し、本賞および奨励賞にふさわしい2作を決定しました。
今年の本賞受賞作は、谷口良生(りょうせい)さんの『議会共和政の政治空間 フランス第三共和政前期の議員・議会・有権者たち』です。
フランス第三共和政は、ナポレオン三世が普仏戦争に敗れて失脚した1870年から1940年のヴィシー政権の誕生まで70年続きます。受賞作は、この第三共和政の前期(1870~1914年)、なかでも19世紀末の30年を主たる対象として、議会共和政と呼ばれるもののありようを、従来のように国会のみに限定せず、県議会、市町村議会、さらには郡議会まで包括的に視野に収め、議会政治の空間として捉えようとした野心的な大著です。約470頁の本文に、二段組で100頁を超える国会議員・県議会議員の人名解説が添えられています。
第三共和政とはいえ1870年代末までは王党派と共和派がしのぎを削ります。考察のモデルとして選ばれたのは、マルセイユを県都として、マルセイユ、エクス、アルルの三郡からなるブーシュ=デュ=ローヌ県です。当時のフランスで最も左傾化した県の一つでした。
谷口さんは、当時の議会共和政の実態を解明するのに議員、議会、有権者の三つの視点から分析します。しかもこれらを変化の相において動態的に捉えます。第三共和政の初期には、旧来の「名望家」がいきなり県議会議員や国会議員になったのですが、しだいに「政治の専門職化」と「能力主義」が顕著になり、名望家も政治のプロたることを要請されると同時に、社会階層の低いところに出自をもつ有能な市町村会議員が県議会に進出し、さら下院議員になるという出世コース(「標準的軌跡」)が定着します。一方、議会のレベルでは、第三共和政初期には保守共和派ないし王党派の政府から「行政機関」とみなされていた県議会が、徐々に「政治的議会」の性格を濃くし、非合法、非公式な政治空間を形成していきます。同じく政府および県行政に従属した「行政機関」と位置づけられていた市町村議会も、普通選挙によって選出された組織体であることを根拠に、行政権力によって任命された執行部との対立を鮮明にしていきます。
県や市町村の保守的な執行部と、共和派が多数を占める県議会、市町村議会との対立の構図のなかで、国会議員と県議会議員または市議会議員の兼任、極端な場合には三役の兼任というフランス独特の現象を検証した第5章と第6章が、この大著のなかでもとくに読み応えのある2章です。たとえば、女子中等教育の脱宗教化をめざす兼任議員が、まずは急進派の多い県議会で学校付司祭を廃止する案を通し、その支持を背景に国会(下院)でも同趣旨の法案を通そうとする(ただし穏健共和派が多数の下院では否決される)といった戦略上の効用が兼任にはあり、何より、議席獲得に直接関わります。谷口さんは兼任を多数派の党派戦略としかとらえなかった先行研究を批判し、すべての党派にとって容易に手放せない戦略的礎だった、だからこそ兼任批判の声はつねにあったものの、議員たちは党派を問わず、兼任も兼任の回避も法制化することには消極的だったとします。このように、国政と地方政治をまたぐ兼任の自由こそは、国会をはみ出して地方議会まで広がる「議会政治の空間」形成の重要なファクターであったことが説得的に示されています。
本書は、一社会に属する人物の総合的な経歴調査である「プロソポグラフィ」と呼ばれる方法を駆使しながら、ミクロな視線とマクロな展望を結び合わせています。斬新で高度な専門的知見が一般読者の理解に届く形で提示されていることを求める渋沢・クローデル賞の主旨に模範的に応えるものです。近年の受賞作のなかでもまれに見る高い評価を受けました。
奨励賞は、神崎舞さんの『ロベール・ルパージュとケベック 舞台表象に見る国際性と地域性』に贈られます。
ルパージュは1957年にカナダ、ケベック・シティに生まれた劇作家、演出家、俳優、さらには映画監督でもある多彩な才能の持ち主で、日本の歌舞伎や文楽からも大きな触発を受けています。1995年に戦後の広島を舞台とする自作『太田川七つの流れ』(1994)を渋谷のBUNKAMURAで上演して以来、日本との縁は深まり、2022年度の「国際交流基金賞」を受賞しています。しかし日本ではまだ知名度が高いとは言えません。神崎さんの本は、日本語で書かれた最初のまとまったルパージュ論であり、1980年代から今日までの主要作品を時系列に沿って勘所を簡潔に紹介する格好の導きの書になっています。
英語優勢のカナダではフランス語圏のケベックは少数派ですが、ケベックの内部にはまた独自の言語と文化をもつ移民や先住民も少なくありません。神崎さんによると、1980年代にはケベック人(ケベコワ)のアイデンティティを厳密に追求するよりも言語、民族、文化の多様性を多様性として許容する風潮が顕著になり、演劇においても「異種混淆性」が肯定的に描かれるようになります。ルパージュもそうした趨勢のなかで演劇人としてのスタートを切り、以後、彼の作品はつねに文化的他者、とくに中国文化や日本文化に向けて開かれ、そこから養分を吸収する形で展開されます。ときに「オリエンタリズム」の批判を浴びながらも文化的他者との融合を積極的に図り、舞台上で複数の言語を交差させ、生身の俳優と映像とを併用し、断片的な複数の空間が合わさるモンタージュの手法を駆使することで、文化的規定の多元性を具現します。そうした大胆さがルパージュの「国際性」の源泉になっているのですが、その「国際性」はケベックの「地域性」に根ざしています。
神崎さんによると、ルパージュは長い間、ケベック人としてのアイデンティティやケベック社会固有の問題を正面切って描くことはなく、他者という鏡に映し出される像としての間接的表象に終始していたのですが、2010年代に入って大きな転換を見せます。国際的名声が高まるとともに、彼のなかに自分の作品が商業的に消費されていくことへの危機感が生まれ、「国際性」に背を向け、むしろケベックの原点(故郷/経歴の出発点)に回帰しようとする傾きが強くなるというのです。ケベック・シティに自分のディアモン劇場を建て、1960年代に幼少期を過ごしたマレー地区887番地のアパートの縮尺模型を舞台に据えて父親との記憶を蘇らせる自伝的フィクション『887』を上演するといった振舞いに顕れている原点回帰です。
実際に上演を観てみたいという欲求を読者のなかに掻き立てながら、1980年代の出発から2010年代の原点回帰にいたるルパージュの軌道を、神崎さんは鮮やかに描き出しています。審査委員会では、本書はルパージュ作品の分析に終始するあまり、現代演劇のなかでのルパージュの位置づけ、他の演劇人との比較や関係づけを通しての相対化の側面が欠けているという不満が表明されましたが、本書をめぐる基本的評価を揺るがすものではありません。演劇分野の著作もケベック文化をめぐる書物も、応募自体がまれで、神崎さんの研究成果が奨励賞によって称揚されるのはたいへん喜ばしいことです。
以上が審査のご報告です。お二人の受賞者に心よりお祝いを申し上げ、今後のさらなる飛躍を期待します。