第38回(2021) 受賞作品
本賞 |
中村 督 言論と経営 戦後フランス社会における「知識人の雑誌」 名古屋大学出版会、2021 |
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奨励賞 |
淵田 仁 ルソーと方法 法政大学出版局、2019 |
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フランス側 |
セザール・カステルビ 日本の新聞記者と新聞社―変化する職業的モデルにおけるキャリアと仕事の社会学的分析 博士論文 |
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フランス側 |
エドゥアール・レリッソン 神道の軌道と日本の満洲の成立―宗教的な空間化、帝国の拡大、近代神道の成立 博士論文 |
審査報告
渋沢・クローデル賞委員会委員長
中地 義和
従来、渋沢・クローデル賞の選考は、日仏会館の学術事業委員会のなかに設けられた審査委員会が担当してきました。しかしこの賞は当会館の最も重要な顕彰事業の一つという位置づけから、今年度より「渋沢・クローデル賞委員会」という独立の委員会が立ち上がりました。今回が10名の委員で構成される新委員会が行なった最初の選考です。応募作は全部で13点、うち著作が9点、翻訳書が4点でした。思想史、美術史、音楽史、政治文化史、メディア史等の歴史研究、さらに哲学、文学、地理学など、人文・社会科学の多岐にわたる分野から力作が集まりました。著作の多くは、長年の研鑽の成果である博士論文をベースとする出版物であり、著者の意気込みがひしひしと伝わる力作ばかりでした。
審査のかなめは、斬新で高度な専門的知見をいかに一般読者に開かれた形で提示しているか、という点にあります。この専門性と一般性とのかね合いは微妙で、審査会においても慎重かつ柔軟に検討しました。かりに特定の学問分野で優れた研究成果と認められる著作であっても、専門的知識をもたない読者の理解に届きにくいと判断される場合には授賞対象とはならないという点が、いわゆる学会賞などとの違いです。
また、翻訳については三つの評価基準があります。⑴原書が紹介に値するものか、⑵翻訳が正確で、日本語として良質か、⑶訳者解題が充実しているか、です。既訳のある古典の新訳の場合には、これら3点に加え、既訳との比較で精度がまさっているか、今日の読者の語感に適う日本語になっているか、旧訳以降蓄積されてきた研究や批評の成果が盛り込まれているか、が考慮されます。
一昨年、昨年と二年連続で、異なる分野におけるそれぞれに優れた著作の間で評価が拮抗し、本賞はなしで、複数の奨励賞を授与する結果になりました。今回は、第1次審査で、著作3点と翻訳1点の4点に絞り込み、第2次審査でさらに審議を重ねた結果、本賞と奨励賞にふさわしい作品を1作ずつ選ぶことができました。
本賞を受賞された中村督(タダシ)さんの著書『言論と経営戦後フランス社会における「知識人の雑誌」』は、戦後フランスの代表的週刊誌『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』を対象に、1964年の創刊から95年に国内最大販売部数を誇るにいたるまでの沿革を、政治的自立と経済的自立という二重の課題の克服の歴史としてたどった労作です。
著者によると、社会民主主義の倫理を標榜して知識人を結集しながら反権力の言論を展開してきたこの雑誌が最大の危機を迎えるのは、1980年代前半、社会党政権の誕生とともに権力批判の足場を失い、同時にサルトルに代表されるような「知識人」が消滅していくときです。読者離れと広告収入激減による財政危機が襲いますが、それを救うのが、営業部門が打ち出した、雑誌レイアウトの刷新、組織の若返り、広告販売業務の外部委託といった方策です。しかもこうした形での危機の克服を通じて、編集部門にも、政党から不即不離の距離をとりながら左派言論雑誌としての地歩を守ろうとする新しい姿勢が生まれてきます。著者は、「知識人の雑誌」の歴史全体を、言論と経営の、民主主義の倫理と資本主義の要請の相互作用において跡づけています。政治と経済、編集と営業を不可分な両輪として一雑誌の軌跡をたどる野心的な構想は見事に成功し、政治、社会、文化にまたがるさまざまな事象への広い目配りにより、本書は一言論誌に関する卓越した研究にとどまらず、戦後フランスをめぐるユニークな政治文化史にもなっています。
本書には著者が独自に入手したデータが多数掲載されており、資料に語らせる強みを遺憾なく発揮しています。財務諸表、株式等を踏まえた経営分析、マーケティングの分析等も、きわめて水準が高いという評価を受けました。しかも、おびただしいデータの挿入にもかかわらず、記述が細切れにならず、息の長い読み物として読ませる筆力を証明しています。戦後史研究の分野で近年まれに見る傑作であり、渋沢・クローデル賞本賞に最もふさわしいという評価で審査委員の合意を見ました。
奨励賞を受賞されたのは淵田仁(マサシ)さんの『ルソーと方法』です。タイトルにさりげなく、しかしはっきりと宣言されているように、この本は「ルソーの方法」を扱うことを主眼としてはいません。18世紀の経験主義哲学、とくにコンディヤックの分析的方法に対してルソーがいかに立ち向かったかを論じた書物です。コンディヤックの認識論は、観念の分解と再構成、および、未知は既知の中に含まれるという「自同性」の原理に立脚しますが、そうだとしたら、分析的方法では未知の発見、真理の発見は不可能だ、というのがルソーの主張である、と著者はとらえます。ではルソーにとって真理にいたる要件は何かというと、著者によればそれは「内的感覚」ということになります。
歴史記述をめぐる議論のなかでも、ルソーは事実を積み重ねる考証学には批判的で、経験論者たちが描く「自然状態」は「社会状態」を起源へと投影したものすぎないと非難します。「自然状態」から「社会状態」への移行には、ある暴力的な断絶ないし飛躍が介在したのであり、それを捉えうるのは因果律的推論ではなく「内的感覚」だとするルソーの主張を抽出する著者の手続きは見事です。
本書はこのように、認識論と歴史叙述という二つの次元で、経験論哲学の分析的方法とルソーの「内的感覚」という方法ならぬ方法との対立の図式を鮮やかに浮かび上がらせています。通常あまり引き合いに出されないマイナーなテクストに目を配り、古今のルソー論を縦横に引きながら展開される立論は緻密で重層的です。
反面、審査会では、そのレフェランスの厚みがかえって議論の主軸を見えにくくしているという指摘があり、作品論的な扱いが少ない点についても留保が表明されました。「ルソーと方法」の分析は見事だが、「ルソーの方法」についてもっと正面から言葉を尽くしてほしいという意見もありました。しかしながら哲学する楽しさに溢れ、将来性を感じさせるすばらしい著作であるがゆえの希望であります。さらなる展開への期待を込めて奨励賞を授与することで、審査会は一致しました。
以上のように、すぐれた仕事を達成され、今後のご活躍を確信させるお二人に渋沢・クローデル賞を授与できたことを喜ばしく思います。お二方のさらなる飛躍を祈念し、渋沢・クローデル賞委員会を代表してここにご報告申し上げるしだいです。