第35回(2018) 受賞作品
本賞 |
新居 洋子 イエズス会士と普遍の帝国 在華宣教師による文明の翻訳 名古屋大学出版会、 2017 |
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奨励賞 |
鳥山 定嗣 ヴァレリーの『旧詩帖』 初期詩篇の改変から詩的自伝へ 水声社、 2018 |
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フランス側 |
リュシアン=ロラン・クレルク 日本におけるアイヌの社会文化的変容 博士論文 |
審査報告
渋沢・クローデル賞審査委員長
北村 一郎
本年は、翻訳書1件を含む11件の応募があり、いずれも力作ぞろいでした。
私どもの渋沢・クローデル賞の審査におきましては、学問的な専門技術性と一般読書人にとっての分かりやすさとの、ときには相いれない美点の間でどちらを取るべきかという非常に難しい選択に迫られることが珍しくありません。しかし、今回は幸いにも、いずれも学問的に優れていながら同時に比較的に読みやすい作品に恵まれました。
中でも圧倒的な評価を得ましたのが、本賞に輝きました新居洋子氏の『イエズス会士と普遍の帝国――在華宣教師による文明の翻訳』であります。
本書は、18世紀後半の時期に清朝中国に派遣されたフランス人イエズス会士ジャン=ジョゼフ=マリ・アミオ(Jean-Joseph-MarieAmiot,1718-1793)が、清朝第6代皇帝の乾隆帝(1711-1794)のもとで通訳ならびに音楽教師として仕えながら、中国文化全般についての知見をヨーロッパに書き送っていた膨大なメモワール(全15巻)を、アミオが参照したと思われる原典と対照しつつ、包括的に丹念に渉猟し、アミオの活動の全体像を明らかにすることを目的とした実に気宇壮大な作品であります。アミオが、ラテン語と漢語および満州語との間の通訳だったことに対応する必要に加えて、アミオがフランス語で書いた原稿が正確に刊行されているのかどうかをフランスの国立図書館で確認する作業も行われたわけですから、これだけの言語を駆使して徹頭徹尾実証的に東西文明の間を往還し、しかも、中国文化を常に正確に捉えようと努めていた人物の著作を分析するということは、私のような凡人には気の遠くなるような作業と言わなければなりません。
著者新居洋子氏は、中国史を専攻する研究者ですが、御経歴もまた独特であります。国立音楽大学在学中に中国音楽に出会い、桜美林大学の修士課程において20世紀初頭の中国における西洋音楽の受容について研究し、次いで東京大学の修士課程に転じ、そこでアミオの中国音楽についてのメモワールを発見したことが本書の発端でありまして、音楽に限らず中国文明の全体をアミオがどのように「翻訳」したのかという大研究へと結実したわけです。本書の豊富な内容は到底一言では要約できませんが、あえて若干骨子だけ御紹介しますと、アミオは、一方では、清朝の統治制度を、単なる皇帝の恣意的な独裁ではなく、臣下の進言を尊重する奏摺制度や、合議制、側近政治の存在を強調し、他方文化面では、孔子を哲学者、自然法の祖として紹介し、さらに、中国音楽には一定の理論的一貫性の意味での「科学」があると肯定し、陰陽理論や易学もまた同様に「科学」であり、そして、満州語を明晰な文法を備え普遍性ある言語として紹介し、ひいては、フランスと比肩し得るような「文芸共和国」が可能であるとさえ伝えていた、とされます。
このような次第で、18世紀後半にこのフランス人宣教師が見た中国の状況は、この時期の研究が乏しいゆえに今日なお有用に参照されるものであり、その全貌を周到な背景事情の渉猟とともに描き出した著者の比類ない成果は、まさに最近まれに見る探求の産物として高く評価されるものです。
他方、奨励賞は、鳥山定嗣氏の『ヴァレリーの「旧詩帖」――初期詩編の改変から詩的自伝へ』(水声社、2018)という作品が獲得されました。
鳥山氏は、京都大学の博士課程を修了され、現在、九州大学において専門研究員として研究を続けておいでの方です。
ポール・ヴァレリー(PaulValéry,1871-1945)は、言うまでもなく、20世紀前半期のフランスを代表する作家の一人であります。10代から詩を書き始め、20代初めには筆を折って役人生活を送りますが、40代に文学に戻り、アンドレ・ジッドの勧めにより、初期の詩を集めて1920年に『旧詩帖』(Albumdeversanciens)として刊行しました。さらに、その後も何度か書き直して刊行することを繰り返したのです。鳥山氏は、これを「改変」とよび、個々の詩について改変の態様を、フランス語の詩作法および韻律法の正確な理解に基づいて、字句の一つ一つまでつぶさに検討された成果が、本作品なのです。
著者は、この1920年刊行の『旧詩帖』がちょうど『若きパルク』(LajeuneParque)の準備過程と重なること、5度にもわたって改変が繰り返されたこと、中にはのちに書いた詩をも滑り込ませていることから、この『旧詩帖』が、ヴァレリーにとって詩的な自伝の性格を有し、であるがゆえに表現の彫琢を続けたのだということを明らかにされております。
日本ではマラルメと並んでヴァレリーの研究が大変盛んで、本国におけるよりも水準が高いとすら言われることがありますが、それらの豊富な蓄積の上に、オーソドクスな意味での日本のフランス文学研究の一つの到達点を鳥山氏が記したものと高く評価されます。
ただ、フランス語を御存じない読者には確かに近づきがたい面もありますが、本書の最後で著者が、「若い季節の思い出が詩人の老年に至るまで疼き続けたからではないだろうか」と控えめに結ばれているように、ヴァレリーにとっての主題が若き日の情熱と感性、女性の美と官能の賛美なのですから、訳された詩の部分だけでも、ページを繰る価値があるのではないでしょうか。そして、この機会に「そうだ、フランス語習おう」と思い立つような向きがおいででしたら、日仏会館一同さらにはフランス関係者一同と致しまして、これにすぐる喜びはございません。
審査報告は以上ですが、この渋沢・クローデル賞の運営のために、共催者としての読売新聞社および日仏会館・フランス国立日本研究所、協賛を賜る渋沢栄一記念財団および学校法人帝京大学、そして、後援を賜る駐日フランス大使館の各位に対しまして厚く御礼申し上げます。